斎庭について
「斎庭」について
祭事などの際、祓い清め、神をお招きし祀るための場所(庭)に
所以がある「斎庭」という古神道にある言葉。
この地に神が鎮座し給うた古に思いをはせ、先達がこの地を長き永きにわたり守りぬいてきたように、
100年先を見据え、四季折々の草木であふれる自然豊かな地で、
神々と自然、私たち人間、ひとりひとりが心と心が通じ合う「斎庭」をつくる。
この里の先達に誓い、そして、志をもち、2020年6月に奈良県天川村坪内区の氏子有志にて結成しました。
八つの杜からなる山々に囲まれ、鎮守の杜「琵琶山」天河神社が鎮座するここ坪内。
“俗世間から離れた別世界、理想郷”という意味を持つ中国故事の『壺中天』から
名付けられたというこの里は、歴史上にも様々な所縁がありますが、
紀伊半島豪雨災害をはじめ地滑り災害等、近年自然災害に直面しながらも
自然と向き合い困難を乗り越えてきました。
これらの証として、また後世へ伝え繋げてゆくためにも
100年先を見据えた活動を、植樹活動をはじめ、元来この地にあった自然と共存する暮らし、
自然豊かな山里の復興、そして、神々をお祀りする場所にふさわしい「斎庭」づくりにむけて活動をしていきます。
「斎庭」の結成の背景
私たちは、坪内地区に代々生まれ育ち、
この地の中心的な柱である大峯本宮天河大辨財天社の氏子崇敬者でもあります。
木々に囲まれ自然豊かな地ではありますが、
実は今こうして見える景色は70年近く前に大きく変化しました。
元来、この地は信仰を基として人間と自然、
山々が一体となり暮らしをしていた「山里」でもありました。
田畑の向こう側の山裾は苅場があり、茶の木もたくさん植えられており、
その奥は落葉広葉樹の森が広がっておりました。
季節折々に、山の神がおりてきたと知らせてくれる桜の花が山を薄紅に染めたり、
秋には紅葉など赤や黄色に色染まるなど様々な木々が茂っていたといわれます。
しかし、戦中戦後の混乱期の建設資材や燃料の不足を補うための伐採、
国主導の拡大造林によって広葉樹から杉や檜の針葉樹に転換されてしまいました。
戦後の高度経済成長期の流れもあり、
この地も林業により生業を得る人々が多く生活する様になり活況を呈しました。
しかし、時代は束の間。植林の成長と共に仕事量が減り、また、日本人の家に
対するニーズが変わり建築工法の変化や外国産材の輸入増加等国産材は需要と価格が減少し、
林業は産業として成り立たなくなり、
坪内のまわりの山々も、残念ながら、ほぼ手つかずの放置林となってしまっています。
▲ 「斎庭」代表の西岡氏・井頭氏が紀伊半島豪雨災害の当時の状況を毎日新聞社からの取材対応時(2020年8月)
放置された森林では、山の地盤も緩みやすくなり、
紀伊半島豪雨災害をはじめ地滑り災害等がこの地で発生。
そして、林業が中心産業だったため、この山奥の地での生計が厳しくなり、
地域の担い手であった人々は村外へ流れ、過疎化高齢化を助長し、
50年後、100年後は村の存続さえも危ぶまれ、
自然の荒廃もさらに進んでしまうのではないかと危惧しております。
こうした中で、今の時代に生まれ育った私たちがこの半生を振り返り、
永きにわたり先達が時代ことごとに守りぬいてきた信仰と地域のため、
弁天さんのご加護に感謝し、今こそ皆で協力して行動していこうと決意。
そして、未来の子供たちに残し受け継いでいけるように、それが、この地だけでなく、
日本と日本人の心を守っていくことにつながればと強く思っています。