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さて、昨日(1月15日)は小正月。天河神社では、"とんど焼"が行われました。
|| とんど焼とは
松の内の期間も終わり、飾っていた松飾りやしめ縄などをお焚き上げする「とんど焼き」。お正月飾りの門松やしめ縄それに書き初めなどを、火にくべて焼き払い、豊穣や除災、新しい年への祝福も祈る神事であり行事であります。 私たちの住まう天川村坪内では、小正月の毎年1月15日に天河神社の境内にて行われます。
|| 氏子で力を合わせて
まずは、準備を氏子の男勢中心に進めていきます。
▲伐りだした木を組みやすいように同じ長さにそろえていきます。
▲天河神社では、現在は護摩の方法でお焚き上げします。代表の西岡が幼少のころは、坪内の中に"どんど場"があり、10メートルぐらいの大きな櫓を組んでいたそう。その後、禊殿のほうの広場に移動しましたが、その広場も2011年の豪雨被害で土砂崩れにあい閉鎖。それ以来境内のなかで行うようになりました。
▲中心になる軸の木には御幣をつけ、毎年恵方の方角に向けて立たせます。
▲護摩の御櫓ができたら、その中にしめ縄や古札などをいれていきます。
▲しば(檜葉)を覆いかぶせていきます。これで燃えやすくするのと、煙が上へ上へと立ち昇るように。
▲四方に結界をはるため、竹を立たせて完成です。
|| とんど焼当日
神事は朝の5時から始まります。
▲1月の朝は氷点下をきることも。凍てつく寒さのなか、始まります。
▲点火は、氏子が行いました。
▲瞬く間に炎が大きくなります。バチバチと音も鳴り響きます。これは中にいれた竹が音を鳴らしますが、これも厄払いのひとつになっているのではと。
▲どんど焼の炎で燃やすと字が上達するといわれ、村の子供たちの書初めを竹竿の先に吊し、燃やしました。薄い和紙なので、炎の上にくべるだけで和紙がすぅっと灰になりながら、上へ上へと舞い上がります。その和紙が上に舞い上がるところに、古の日本人は"上達"とかけたのでしょうか。感慨深いものです。
▲炎で焼いた餅を食べると無病息災になるといわれ、村の子供たちと一緒に餅団子を食べました。「わしが小さい頃は餅も贅沢品だったな」と、西岡。
鎮守である天河神社の氏子として、こうして今年も無事に新しい一年を迎え入れることができることに安堵するとともに、昔ながらの自然と共生する生活、暮らしを、この先も10年、20年、何十年、何百年先も続けていけるようにいていきたいです。
~今日の一枚~
昔はどんど焼の炎を各家が各々もらって帰り、"へっついさん"にいれて竈の火入れをして、小豆粥を作り無病息災を願い食べたそうです。(西岡の幼少期にもそうしていたそうです。)小豆粥は今でもどんど焼の後にいただいています。 そして、天河では「こんこ開き」があります。"こんこ"は天河の方言で"たくあん"のこと。年末に畑からひいた大根を漬けて、この日に"こんこ開き"といってたくあんを食べます。これも山里での暮らしならではなのかもしれません。
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